宮西連区地名アラカルト

 金刀比羅社があるからか・・・。なぜ、本町一丁目地内に金刀比羅さんがあるのか経緯はわからない。ちなみに、市内瀬部の金刀比羅社は、香川県琴平町にある金刀比羅さんの全国六ヶ所のうちの正式な分社の一つ。海上安全の神様といわれる金刀比羅さんが、一宮に もあるというのは、木曽川乱流時代の水運に由来するのか。町名は、本宮のある琴平町にあやかったのだろう。

 「九品」は「くほん」とも読む仏教用語。品の良いことを「上品」、悪 いことを「下品」というが、さ らに「中品」もあ り、それぞれの品にまた上、中、下があって九品 となる。現世の行いによって、極楽往生にも九つのパターンがあるという教えで、南に九品寺があったことから名付けられた。

 昭和48年9月の新住居表示によって、現在の音羽2丁目と3丁目になつた。「野黒」は文字通り「野が黒い」ところ。野が黒いということは、土が肥えているということ。明治時代 に東海道本線が通 るまでは、肥えた大地が広がっていたことがうかがえる。

 九品地競技場南、県道一宮大垣線を挟んだ辺りが「楽橋町」。古く同競技場がまだ九品寺と霊園だったころ、ここは極楽と現世の境の地。橋を北に渡れば極楽、南に渡れば現世。まさに極楽と現世を結ぶ橋が架かっていたことから、地名にその名が付けられたという。

古くは真清田神社の祢宜が住んでおられたとされ、昭和48年の新住居表示で祢宜町という地名はなくなりましたが、いまでも大宮1丁目に町内会名で残っています。

 祢宜は神の心を和ませる「ねぐ」が語源で、宮司に次ぐ位となります。会社でいえば専務、学校でいえば教頭先生というところの現場責任者ですね。祢宜の下の位には権祢宜があります。

 「権」とは補佐するという意味があります。大きな神社になると、宮司の下に権宮司がおいでになります。祢宜町、真清田神社にまつわる地名でした。そして、いまでも町内会名として使われていることに、宮西連区の歴史を感じますね。